松原を高田町が買い戻したこと

松原

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語り手 : 新沼薫

新沼
350年前に植えだ松、これは、菅野杢之助さんというのが、かどみせの隣、ひことこさんと、そして、及川ぶるぎや、そごの隣にいだの。大和田五郎さんの米屋の間にあって、その子孫がね、これぁあのぅやはり明治の話だがら。そして防潮林を作るべって松原さ松、何回も植えで、それで潮でやられたりしてね。それで伊達藩の藩の頭首が来て、偉い人が来て、そしてそれを奨励したわけだね。んだけども、まずなんとかあそこは、昔はあれぁ伊達藩のものだったんだべねえ。それを買いつけだのが、鵜浦きよしさん。こっちの、お父さんだね。鵜浦清さんが町長時代に、松原を、摺沢の横屋っていう、豪商なんですよ。この方が、財産を持ってだんだね。伊達藩から譲り受けたんだか何だか、わがらないけれども。それを、鵜浦清さんだら売る、と。他の人だら売らないっという。ところがほれ、摺沢だから、高田では欲しくてしょあねえわけだ。んだけども、まず、金集めねばわがねえわげだ。なんぼだべ、っていったら、20万円だ、って。当時のね。20万円つうのはねえ、「マルハチ」だの「マルオト」だの、「ナベヤ」だの、って、そういうとこから集めて、更に議員方からも集めたどぎ、反対した人だちあったんだね。んだけども、多数決で、こりゃあ、あの、公益質屋やってら、元ね。わだしらしねぇ、公友館の隣。そこで、議会で、もめでね。だけども、鵜浦さんが、なんとかお願いします、ということで、それが多数決で、あのぅ、お金を集めることになって。そしてみんなから集めで。いどやのあたりでも、いや、議員、町会議員やってだったがら、なんぼぐれぇ出したんだかわからないけれども、20万円、まず、集めで。村上けいたろうさんってあるね、昔、佐々木けいたろうって、ムラケンさお婿さんなった人、その方がリュックサックさ背負って、お金、20万円だからねえ。その20万円っていうのをね、この間、調べてみだの。そしたらね、10円が、今の金で5万円。

阿部
10円が5万円ですか。

新沼
あ、100円か。

阿部
100円が5万円。

新沼
100円が5万円で。そうすとね、計算して、ニゴジュウというと、0が7つ付くんだ。一億だ、今の金で。

阿部
ふううん。

新沼
それを買い取ったわけだ。松原を。それが、鵜浦清さん。う~ん何ともねぁ、ほんとにぃ、まずみんな喜んだわけだ。
で、鵜浦清さんづう人、ほんとにねえ、今でいえば、あのう、叙勲ものだねえ。その頃はなかったから。まずほんとにねえ、鵜浦清さんという人は、偉い人だったなあ、と思って。それごそ、銅像でも立てでえようなんだねぁ。今でいえば。まず、こっちの方だからね。笑

阿部

ここのりくカフェの理事をされているね、あの、隣の鵜浦医院の・・・

新沼
鵜浦清さんづぅ人ね、ほんとに偉い人でね。