シジミとり

三角沼

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語り手 : 高橋壮介

壮介
であの~その古川沼っていうのは、2つに分かれてたんですよ。

阿部
2つ?

壮介
2つに。こっち古川沼…元の入り口の方ですね、でここにあの…こっちが東松原こっちが西松原って気仙町の方ね、ここに通路がありまして、ここにも沼があったんです。んで、ここは危険だから泳いじゃだめだよ、ってんでこのプールでよく泳がされたの。

阿部
このこっちの沼っていうのは今でいうところのどこら辺なんですか?

壮介
前にあった第2グラウンド。チリ津波で埋まってしまったんです。

会場
あぁ…

阿部
あの、サッカー場とか第2野球場の辺り?

壮介
そうそうそう!ありましたね、あの辺りが三角沼って2つめの沼があったんです。

阿部
へぇー。

壮介
それチリ津波で埋まってしまって…

壮介
むろん私達もここの三角沼でシジミ採りしたりとか、前にお話ししたと思うんですけども、おばぁちゃん達がね、若いころシジミ採りに行ったとかね、この古川沼の気仙町の方に行ったりとかね。こっちの方でシジミ採ったりとかね。で、私達もやはり松原ではホッキも採れましたし、マサミヅっていうね、こういうきれいなね、貝もね、そういうのも採れましたから。そういうものを食材に使ってキャンプをしたりとかですね、昔は今のように漁業権とかなんとかなくて、ホッキなんか採り次第だったんです。ちょっと足をこうして砂を揺すると貝に当たるんですよ。浅瀬の方に貝が出てきますから。足でこうやると触るんです。それを潜って手ですぐ掴み採って、ホッキね。それよく家に持って帰ったりとか、あるいは学校でキャンプする時食材に使ったりとか…松原はまずそうですねぇ、最近になって…そうですね、50年代になって、あの、いろいろ松原っていうものがああいうふうに観光客が来たりとかですね、あの、3万人4万人っていうのは普通でしたからね。