森の前
語り手 : 高橋壮介
阿部
はい。あのぅ今盆踊りっていう話が出ましたけど、森の前の盆踊りはすごくおっきかったって…。
壮介
はいそうですねぇ、懐かしい盆踊りですねぇ。
阿部
どんなだったんでしょうか?
壮介
え~とね、道幅があそこ5メートルか6メートルぐらいかな?のとこにね、川が流れてたんで、川の上に橋があったんですよ、橋がね。その橋の上にね、長い木でもって櫓(やぐら)を組んで…。
阿部
橋の上に?
壮介
そう、橋の上に櫓を組みました。そんじょそこいらに…お百姓さんとこに行かないと長い木がないんで、大人たちはね、お寺さんに行って、お寺さんが色んな行事で使う櫓の材料があるの。その木を借りてきて、櫓を立てて、でそこの上で、お三味線、笛、太鼓、鐘、それで打ち鳴らして輪になって、あのぅ
気仙町へ行く分かれ道と、それから駅通りに入る分かれ道と距離にして約100メートルぐらいあるかと思うんですが、そこをずぅっと輪になるんです。
阿部
そんなに大っきな輪ですか!
壮介
はい。結局、片倉の女工さん達もおりましたし、その頃私達の子ども時代はいっぱい子どもが、大勢家族がおりましたから、輪になって踊りをするわけです。で、片倉の女工さん達も夕方は街へ出てきてその輪の中に入るから、一回りするのに、相当時間かかるんですよ、うん。でその間に、物資のない頃だったけど、上手に仮装して、自分でいろいろお面を作ったりとか傘を作ったりとか刀を作ったりして仮装してやるんです。そうすると、どうしてもね、私達も入りたい入りたいと思うんだけど、やはりね女の大人の人にはかなわないんです。お化粧してね、きれいな着物きてね、いつも1位2位っていうとみんな片倉の女工さんだったりね。
会場
(笑)
阿部
えっ?順位つけるんですか?
壮介
そうです!何番って…私達はいつも番外なんです。うん、お侍さんの格好してね、浴衣を着てね、服の上に浴衣を着て。そして清水次郎長だとかってグループを作って、そんなことをして踊りを踊ったんです。
阿部
へ~。あのぅあれですよね、昔はレコードなんかないから…
壮介
はい、カセットもないですからね。
阿部
生演奏なわけですね?
壮介
えぇそうそう。
阿部
お三味線ということだったんですけど、お三味線を弾く方がいて?
壮介
えぇいっぱいね、私達の町内会はね割烹料理をやる割烹さん、ま、昔で言えば廓(くるわ…遊郭ともいう)ですかね、そういった芸者さん達のね街だったんです。森の前っていうのは。
阿部
芸者さんもいたんですか?
壮介
いっぱいおりました。だからお三味線弾く方達いっぱいいました。春駒のおばあちゃんとかね、コセンさん、ふっこちゃん…。あとマルマサのおばあちゃんなんかやんなかったか?
会場
マルマサのおばあちゃんね、マイク持ってね離さにゃんだっけ。
壮介
あぁ、そうか…
会場
(笑)
壮介
あとここに(いる)大坂さん達がね、震災前に、そのぅ盆踊りでやった「高田小唄」って…
阿部
高田小唄?
壮介
はい、盆踊りの「高田小唄」ってね。
阿部
えっ?高田音頭じゃなくて?
壮介
音頭じゃなくて高田小唄っていうのがね、あったの。でそれを振り付けして踊りをね、習ったりしたの。
阿部
へぇ~。どんな唄だったの?
壮介
金野エイジさんって駅通りにいたおじいさんが作詞して、でそれを曲をつけたのが…。
会場Aさん
長砂から松原うだって森の前がら大石まで全部5番まであった唄なの。
阿部
どんな唄なんでしょう~。
壮介
そう、地名を言ってね、いろんなね…
会場Bさん
そうすっとね、タカちゃんっていう人がね「盆踊りは見るものではありません!踊るものです!!」って威張ってでマイク離さにゃんだっけ~。
会場
爆笑
壮介
そういう風にね、ものすごく大きい輪でねやったんですよ。なぁに一回りするのに、ヘタすると1時間くらいかがったのかなぁ。私達6時ごろ出て家に帰ってくるの10時ごろだったから。踊りを2周ぐらいして…。
阿部
へぇ~。
壮介
で、おやつもらうのが楽しみでねぇ。
阿部
ふぅん。それ何日間くらいやったんですか?
壮介
1週間ぐらいやったのかな。
会場
1週間!
阿部
1週間も?!
壮介
1週間やったの、盆踊り。8月15日から。