のぼって遊んだ松

五本松

00:02 / 00:58

語り手 : 高橋壮介

阿部
この、あのぅ、村上道慶さんの碑があった五本松、というところなんですけれども、その、碑が四本あったって今・・。

壮介
そうですねえ。

阿部
あとはどんな、どんな碑・・・?

壮介
松の木がまあ五本あって、

阿部
はい。

壮介
五本のうち一本が、上りやすいようにこう横に枝が張ったやつ。え、あのう、幹の成る向きがまっすぐじゃなく斜めにこうなって、そこへ裸足で上り下りしたことがあったし。

阿部
はい。

壮介
あるいは、かくれんぼする時には、この顕彰碑の陰に隠れて、その、かくれんぼして遊んだりとかですね。
まあ、大人になって、最近調べたんですけども、あのう、ちょうどここが、あのう、陸前高田市の文化財になっておりますね。あの、パンフレットの、後ろに書いてありますけども、4本のいつ作ったか「五本松の碑群」という、これがありますけども。そういう五本松も文化財になって、その後ろの方も、あのう、なんか、県の方の文化財の指定になって。「西舘(にしたて)」という、西側の舘ですね。お侍さんの舘ですね。それをあのう、かさ上げになる前に、そのう、調査しなくちゃいけない。で、福岡の方とお会いしてわかったんですけども、この五本松そのものが江戸時代からずうっと、あの、通り道の、五本松が、目印だったんだそうです。要するに、昔の一里塚ですか。五本松は大体そのう、一里というと約4㎞ですね。気仙町にも三本松っていう地名も残ってますからねえ。あすこのように、何か、目印の場所だったんだそうです。元々ここは川の底だったんだそうです。

阿部
川の底ですか。

壮介
はい。あのう、気仙川が今のように、あのう、誂石(あづらいし)からこう気仙町の方に真っ直ぐ伸びてますけど、400年ぐらい前は、高田町全体っていうか、まあ、馬場とかそれから駅通りを通って、古川沼の方に川が流れてたんだそうです。その名残が、道慶の五本松のあの石が五つばかり、こう、いっぱい群生になっているんですけども。そこの前が川だったんだそうです。

阿部
じゃ、この石・・

壮介
明治の初め。

阿部
じゃこの石は川の中にあった石。

壮介
はい。川の中にあった石が、だんだんこう川の流れがこう下にできて、それで石が現れてきたんですね。もともと川の底にあった。その場所を、一里塚として使うのには格好な場所だったんですね。そこに石碑を建て、松を植えて、目印にした、と言う話があの、古老の方からも聞いてますし。

阿部
へええ。そうなんですね。ふうん。
あのう、私の知り合いの方で、この五本松のそばに住んでいらっしゃった方が、この自分のおばあちゃん-きっと大正生まれぐらいの方なのかなあと思うんですが-おばあちゃんがこの、道慶の、道慶さんとか、他の石碑群と五本松の周りにはよく火の玉が飛び交っていたって言ってた、っていう話を伺ってたんですけれども。じゃ、そういう意味でもこう、いろんな、なんていうんでしょうかね、魂というか、いろんな意味の込められた場所なんですね。

壯介
そうですね。あのう、この三本の、この、道慶の碑の他に三本の碑は、今から300年、200年前の顕彰碑なもんですから、あのう、やはり、なんていいますか、昔の先人たちの偉業とかも書いてありますし、夜は暗くても無論今のように街路灯も何もない時代ですから、大きな石があったり、まあ、ケガをしないように、というような意味合いも込めて、そういう風にお話ししたんじゃないかなあ、と思うんですね。怖さを教える、とか。
んで、ずっと私も70年80年、このそばで育ったんですけども、誰も遊んでも怪我したことがないんですね。ここで。ただ、そう話したら近所の人が「おら家の息子、ちいせえ時、ここで転んで怪我したのさ」なんて笑い話もありますけども。ほとんどやっぱり、昔の子供さんたちは、危険性とかそういったものはもう身を感じて分かってますから。怪我しないように上手に遊ぶんじゃないかなあ、と思いますね。まあ、いずれ、道慶さまは――どけさま、どけさま、って。大人になって何のことを言うんだかやっとわかったんですけども。どけさま、どけさま、って、村上道慶さんの、まあ要するに顕彰の碑が建ってあるところをどけさま、と。で、松の木が五本あったから五本松、五本松という。最近までは四本しかなくなったんですけども。一本欠けちゃいまして、四本の松だったんですけれども。

阿部
じゃ、震災前まで、その横にこう幹がこう、横になっていたその松っていうのは・・?

壯介
松の木はありました。

阿部
じゃ、壯介さんが子供の頃から上ったのが、ずっとあったんですね。

壯介
はいはい、ずっと、あったんですね。

阿部
へええ。

壮介
何百年とまあ、私達の前のそれこそご先祖様もたぶん遊んだと思うんですけども。
たまたまその、横になった、幹がこう横になった平らな枝だったもん・・、枝、って、木、松の木だったもんですから、よく子供さんたちがそこで裸足で上り下りはしてましたね。私も上ったことも二、三回あります。それも怪我しないように注意しながら上ったりして遊んでましたけどね。